かえで式筋トレ法 開発blog

「簡単」「家で」「誰でも」「気軽に」を目指して、器具不要の低負荷トレーニング法を模索するblog。という見かけの自己メモ。

限界を超えなきゃいけない!という話は、『誰にとって』真実なのか……を、落ち着いて考えてみよう。射幸心を煽るもの全てを疑うことで、見えてくることがある。

今日は、考え方の話について。

 一般的に、ほとんどすべての筋トレメソッドにおいて、変わることなく『限界を超えるまでやらなきゃ、意味がない』ということを提言している。
 しかし、それは『ほかの誰でもない、あなた自身にとって』真実だろうか?ということを、一度ゆっくりと考えてみてほしい。

 一般的に、『限界を超える』という言葉から連想されることは、そこまで努力する、ということを意味するはず……ではある。
 しかし、商業的に筋トレを扱うものをよくよく見ると、その中身は単に商業的な『トレーニング用の器具が必要』か『トレーニングについての専門のトレーナーや、専門のトレーニング本などが必要』という意味となっている場合が多い。

 

 『限界を超えるまでやらなきゃ、意味がない』というのは、『ほかの誰でもない、あなた自身にとって』真実だろうか?
 少なくとも、このblogの筆者にとっては「そんなのは商業的に仕組まれた、ただ射幸心を煽るためのうたい文句でしょ」と考えている。
 ……どうしてそう言えるのかというと、単に『だらだらトレーニングをやっている私自身でも、だらだらレベル相応にはトレーニングが成立している』という、目の前の事実をありのままに捉えているから。

 ムキムキの体にならなきゃいけない!というなら、まさに『限界を超えるまでやらなきゃ、意味がない』のは紛れもなく真である。
 ……しかし、あなたは『ムキムキの体を、本当に目指している』のだろうか?目標着地点はほかにあるのではないか?と、冷静に考えてみてほしいのである。

 そもそも、いきなりきついトレーニングを始めてしまえば、たいていは(過去の記憶のとおりに)挫折するはずである。
 そうしたときに、真っ先に必要なことは「筋トレに失敗してリバウンドした経験を忘れて、再び急に筋トレをする」ことではなく、「きついトレーニングにある程度適応できるレベルまで、まず体を鍛え『続ける』癖がつくまで、だらだらとでもいいのでトレーニングを続けていくことを日常とする」ことではないだろうか。

 何事にも、準備運動は必要である……運動をするにしても、「続ける」という習慣を付けるにしても。
 特に『続ける』というのは非常に難しい。
 もしもあなたが、やる気のみでも、コーチング法でも、レコーディング法でも、応用行動分析法でも、どれを使っても失敗した……という経験があるのならば、まずは『限界を超えるまでやらなきゃ、意味がない』という色眼鏡を捨ててみよう。


 筋トレに失敗するのは、意識の問題でもなければ、トレーナーの問題でも、器具の問題でもない。
 それは単に、『あなたが抱いた初期の想いを、ずっと保ち続けることを妨害しないように、挫折感をほかの何かへと変換する考え方』の問題である。